A Midsummer Night's Dream



菩提樹寮のラウンジの窓辺に見慣れた後ろ姿を見つけて、水嶋悠人は足をそちらに向けた。

全員一緒に夕立に降られて帰ってきたから、ちゃんとお風呂に入ったのか、とかそんな事を聞くつもりで。

「小日向先輩。」

「あ、ハルくん。」

声をかけると少しのけぞるような仕草でかなでが振り返った。

見ればかなでの服装は、いつもの制服からTシャツとショートパンツという軽装に変わっている。

「そんなところで何をしているんですか?」

「え?なんとなく。」

「なんとなく、って。」

少しだけ首をかしげて、それでも堂々と曖昧な理由を述べるかなでに悠人は一瞬顔をしかめたが、すぐにかなでらしいと思い直した。

どうも出会った時からそうだが、きちんと道筋だった考え方をする悠人にとってかなでが言いたい事が唐突に感じたりすることがある。

最近ではそれにも慣れた。

「なんとなくもいいですが、そんなところにいると虫に刺されますよ。」

ただでさえ腕やら足やら余分に出てるのに、と言いかけて慌ててそれは飲み込んだ。

言葉と一緒に室内の灯りにうっすらと浮かび上がるかなでの白い腕や足に目をやってしまいそうになったから。

しかしそんな悠人の動揺に気が付かないかなでは今気が付いたというように頷いた。

「あ、そう言えばそうだね。」

「・・・・そう言いながら立つ気はないんですね。」

頷いておきながら動く気配のないかなでにそう言うと、かなでが悪戯っぽく笑う。

その顔に悠人はため息をついて。

「隣、いいですか。」

「うん!」

律に借りたシャツとパンツを汚さないように注意して悠人はかなでの隣に腰掛けた。

その様子を何となく見ていたかなでが言った。

「それ律くんの?」

「はい。お借りしました・・・・あんまり見ないでもらえますか。」

後半が不機嫌な声になってしまったのは、余って織り込んだ袖口やら裾やらのせいで久々にコンプレックスを刺激されていたせいだろう。

けれどかなでは悠人の言葉に目をぱちくりさせて、ごめん、と呟く。

「でもなんだか新鮮だったから。」

「新鮮?」

「ハルくんっていつもきちっと制服着てるでしょ?だからそういう・・・・なんていうのかな、着崩した感じ?が新鮮だったの。」

そう言ってかなでが何故かやけに楽しそうに目を細めるから、悠人は居心地悪くなって目を逸らしてしまった。

「今は非常事態ですから。」

「うん、だから得した気分。」

顔を傾けるようにして悠人の顔を覗き込んできてかなでがそんな事を言うから、逸らした視線の行き場も失って悠人はやむなくため息で誤魔化した。

(・・・・これで僕をからかっている、というわけじゃないんだから困る。)

大地のようにわざと言っているというのなら怒ってそれでお終いなのだが、かなでは100%悪気がない事がわかっているだけに、悠人もなんにも言えなくなるのだ。

おまけに最近ではそんなかなでの言動に小さな期待を抱く自分もいて・・・・。

と、そんな事を考えかかって悠人は慌てて首を振った。

「ど、どうしたの?」

「なんでもありません!」

天然というのが世にも質が悪いとかなでに出会ってから知ったはずだ、と自分に言い聞かせるのも最近の癖になりつつある。

(らちもないことをした・・・・)

しょうもない徒労感に悠人は思わず空を仰ぐ。

そして。

「・・・・星が出てますね。」

「え?あ。」

横でかなでが同じ様に顔を上げたのを感じながら、悠人は空を見つめた。

学校で練習を終えて菩提樹寮に帰ってきてから、お風呂であーだこーだとやっていたから気が付けば結構な時間が経っていたのだろう。

空は夕方からいつの間にか夜空に変わっていて。

「さっきまであんなに土砂降りだったのに、もう星が見えるんだね。」

「はい。」

夕立の名残の薄い雲もまだ空には残っているけれど、その間から確かに星が顔を覗かせていた。

かなでの言う通り、ほんの数時間前には一面の暗雲に包まれて大粒の雨を降らせていたというのに。

ふっと、それが何かに似ている様な気がして悠人は考え込んだ。

ややあって。

「あ。」

「?」

思わず声を上げた悠人に、かなでが「何?」というように視線を向ける。

夜空からそのかなでに目線をもどして、悠人は大いに納得したように頷いた。

「小日向先輩だ。」

「え?」

「あ、先輩というか、先輩の音ですね。」

「えーっと、ごめん。ハルくん、何の事?」

さっきとは逆に今度はかなでが悠人の話展開について行けずに首を捻る。

そんなかなでに悠人は満足げに微笑んで言った。

「先輩の音は夏の空みたいだって、そう思ったんです。」

「夏の、空?」

きょとんっとするかなでに、悠人は頷いた。

「少し目を離しただけで鮮やかに変わってしまう・・・・今日のように。」

思い出したのは今日の練習の事だ。

律に奏でられていないと言われて全員と個別に練習しただけで、かなでは何が足りなかったのかあっという間に悟ってしまった。

それほど長い時間ではなかったのに、アンサンブルはまるで色を変えて。

「今日は偶然だよ。」

謙遜というより本気でそう思っていそうなかなでの言い方に悠人は「どこがですか」と言い返した。

「部長の指摘を受けて全員の音を聴いて、自分の音色を再構築する。そんな事が偶然で出来るわけないでしょう。小日向先輩自身がちゃんと考えて変えた結果です。」

当たり前に感じた事を悠人がそのまま口にすると、かなでは少し驚いた顔をして。

―― それから嬉しそうに笑った。

室内からの灯りが半分しか届いていないのに、まるで太陽が覗いたように明るい笑顔で。

(あ・・・・)

こういうところもそうだ、と悠人は思った。

音色だけではない。

かなで自身が、まるで夏の空のように ――

「ありがとう、ハルくん。」

「いえ・・・・」

嬉しそうな御礼の言葉を曖昧に受け止めて、悠人はもう一度夜空を見ようと座っている床に手をついた。

そこを支点に空を振り仰ぐ。

いつの間にか、夕立の名残の雲さえもダークブルーの夜空からは消えていた。

と、横でかなでが同じ様に動いて。

(っ!)

「星が見えるね。」

さっきの悠人と同じ事を言って空を見上げているかなでを横目に、悠人は小さく深呼吸をした。

一瞬跳ね上がった心拍数を沈めるように。

もっともそんな事をしても・・・・床についた手に無造作に被ったかなでの小指と薬指の体温がどいてくれない限り無理かもしれないが。

けれど、その接触とも呼べないような淡い繋がりの意味を問いただすのも酷く無粋な気もして。

結局悠人は夜空に目線を戻した。

(・・・・やっぱり小日向先輩は夏の空だ。)

と、思いながら。
















―― だから、少しも目が離せない・・・・と言ったら、先輩はどんな顔をするだろう?
















                                               〜 Fin 〜
















― あとがき ―
スクールシリーズでおいしいところをニアちゃんに取られたので、ハルで差し替えてみました(笑)